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日本史テスト

幕藩体制の確立と動揺3読み

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問題 1.

1616 ヨーロッパ船の寄港を平戸・長崎に制限
鎖国の目的は,幕府が貿易を独占することと,キリスト教の禁圧であった.
そこでヨーロッパ船の寄港地を制限.イギリスは,日本での貿易に利益を
望めないとして,1623年に平戸の商館を閉鎖.

1624 スペイン船の来航禁止
豊臣秀吉の時のサン=フェリペ号事件でスペインの日本植民地化の狙いは明らかとなった.
同じカトリック国のポルトガルと比べても,スペインは布教に熱心だった.
幕府はスペイン船の来航を禁止した.

1629 紫衣()事件
禁中並公家諸法度は天皇の行動に制約を加える法令.紫衣は天皇が高僧に与えるもの.幕府は後水尾()天皇の紫衣勅許を法度違反とした.このため後水尾は退位し,抗議した大徳寺の沢庵()は出羽()国へ流罪となった,後水尾天皇の退位で,徳川秀忠の孫の名正天皇が即位した。859年ぶりの女帝であった.

1633 奉書船以外の海外渡航を禁止
将軍発行の朱印状と老中発行の奉書の2つの貿易許可状を持つ船が奉書船.朱印船貿易では島津氏らの大名も巨利を得ていた.奉書船は特権商人に限り許可されたので,大名の富強化を防ぐことになった.

1635 日本人の海外渡航・帰国を禁止
東南アジア各地には日本町が形成され,貿易に従事する日本人が多数住んでいた.幕府は奉書船の派遣をやめ,日本人の帰国も禁止することで,キリスト教が日本に入ってくる機会もなくそうとした.シャムの日本町アユタヤの長であった山田長政が最も有名.

1637 島原の乱
島原・天草の領主の圧政に対し,キリシタンを含む農民が一揆を起こした.天草四郎時貞()を首領とし,牢人や農民が原城跡に籠城.幕府は12万の兵で城を囲んで兵糧攻めにし,オランダの援護で翌年鎮圧した.

問題 2.

1639 ポルトガル船の来航禁止
島原の乱に衝撃を受けた幕府はキリスト教根絶のため,ポルトガル船の来航を禁止.この法令を出すまでの間,プロテスタント国のオランダがほかの諸国の危険性を幕府に密告し続けたという事実があった.

1641 オランダ商館を長崎の出島に移す
出島は長崎につくられた扇形の埋め立て地である.出島にはオランダの東インド会社の支店がおかれたが,オランダ人は自由な外出を禁止された.

1643 田畑永代売買の禁令
この前年の飢饉で田畑を売る本百姓が続出したので,この命令によって本百姓体制の動揺を食い止めようとした.幕府や藩の収入の8割以上は,本百姓が治める本途物成()や小物成()などであった.農村には5人組が組織され,犯罪の監視・年貢納入の連帯責任が課された.

1651 由井正雪()の乱
江戸で牢人を組織して反乱を起こそうとした未遂事件。武断()政治による大名の改易は牢人を急増させ,かぶき者とともに江戸の治安悪化を招いた.この事件を契機に幕府は文治()政治に転換.この年,末期養子の禁を緩和し,改易による牢人の発生を抑えようとした.







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