日本史テスト
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1867 王政復古の大号令
大政奉還と同日ににより討幕の密勅がに下されていた。12月のこの命令で総裁・議定・参与の三職が創設された。
公家・雄藩大名とその家臣で構成された、雄藩連合の維新政府が発足。
1868 五箇条の誓文
鳥羽・伏見の戦いののち、明治天皇が神に形式で発表した、新政府の方針。
公議世論の尊重、開国和親、天皇制政府の発展などを内容とし、が最終文案を作成した。
1868 政体書の発布
五箇条の誓文にもとづいて、政府組織の改変を発表したもの。らが起草した。
アメリカの憲法を参考にの形式を取り入れたかったが、実際は太政官に権力を集中させるものだった。
1868 神仏分離令
新政府は神道の国教化をめざし、時代以来の神仏習合の風習を禁止した法令。
この結果、神官・国学者らが経典・仏像・仏堂を焼却・破壊する動きが全国に広まった(運動)。
1869 版籍奉還
新政府のもと、各藩は責務に苦しみ、世直し一揆の対策に追われていた。4藩が版籍ををに返上、前半がこれに従った。
これに伴い、政府組織が二官(神祇官・太政官)六省制に変更された。
1869 戊辰戦争が終わる
小御所会議の決定に怒った旧幕府軍が鳥羽・伏見で敗れてから、彰義隊の撃破→奥羽越列藩同盟の降伏→会津若松城の落城。
函館に立てこもったらが降伏して終わった。
1870 大教宣布の詔
神仏分離令に次いで神道国教化をすすめようとしたもの。
全国の神社の格付けをして政府が保護。天皇に関する祝祭日(紀元節など)を定め、神道の定着を狙ったが、効果はなかった。
1871 廃藩置県の断行
版籍奉還後も旧領主は知藩事として藩を支配していた。
そこで藩を廃止、府県を設置した。これによって、中央集権国家体制が確立した。
1871 解放令の布告
士農工商の身分は、新たに・・に編成され四民平等の世になった。えた・と呼ばれた人々も平民に組み込まれた。
政府は戸籍法を制定して戸籍を作成したが、、被差別部落への差別は残った。
1871 日清修好条規
新政府は清・朝鮮との国交樹立をすすめ、とは対等なこの条約を結んだ。
しかしこの年、琉球の漂流漁民がで殺される事件が起こり、琉球の帰属をめぐる日清の対立は続いた。
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