日本史テスト
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1871 岩倉使節団が欧米へ出発
欧米視察、条約改正の予備交渉を目的に、団長岩倉、副士木戸孝允()・大久保利通・伊藤博文以下、多数の団員・留学生を派遣。
条約改正交渉は失敗したが、欧米の先進文化を視察し、内治の必要性を感じ帰国。
1872 学制の公布
全国に小学校を設立し、国民皆学を実現して、富国強兵・殖産興業()に見合う国民の育成を目指した。
高額授業料などに反発した一揆が起き、就学率も伸びなかった。
1872 国立銀行条例を制定
政府は欧米と同様の金本位制の確立を目指し、民間出資の国立銀行を作らせて兌換()紙幣を発行させようとした。
幕末以来の金流出で民間に金は乏しく、兌換紙幣を外したことで約150行が設立。
1872 太陽暦の採用
文明開化政策の代表的なものである。
この前年には郵便制度が始まり、この年横浜〜新橋間に鉄道が開通。ザンギリ頭・牛鍋を食す・ガス灯・レンガ造りの洋館など、東京などの大都市で風俗の開花が進んだ。
1873 徴兵令の公布
満20歳以上の男子に3年間の兵役の義務づけた。免除規定があり、実際には貧農の次・三男に兵役が集中した。
徴兵告諭()に血税と呼ばれていたことから誤解が発生、各地で一揆が起こった。
1873 地租改正条例の公布
主な変更点は、課税基準を石高から地価に、現物納を金納に(地価の3%)、納税者を地券所有者としたことである。
従来の年貢率と変わらない高額負担だったので、反対一揆が各地で発生、地租を2,5%に減額。
1873 征韓論が退けらられる。
西郷隆盛・近藤新平・板垣退助ら参議は武力で朝鮮の開国を主張したが、帰国した岩倉具視・大久保利通らの反対で退けられた。
下野した西郷らはのちに、士族の反乱、板垣らは自由民権運動を起こすことになった。
1873 明六社の発足
森有礼()の提案で福沢諭吉・。中村正直・加藤弘之らが作った啓蒙団体。イギリス流の功利主義思想の流布に努めた。明治6年結成。
福沢を除いて、明六社の人々は政府高官として活躍した。
1873 内務省設置
大久保利通が初代長官(内務卿)となって殖産興業を推進した。
内務省の事業として、富岡製糸場の設置・運営、内国勧業博覧会などがあった。鉄道、鉱山などは工部省が管轄。
1873 キリスト教禁制の高札廃止
五榜の掲示で厳禁されていたキリスト教の信仰が、欧米諸国の抗議で黙認された(大日本帝国憲法で信教の自由を公認)。
五榜の掲示は儒教道徳の遵守、一揆の禁止などの江戸幕府の民衆政策を継承したもの。
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