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日本史テスト

古代国家の成立 年号1

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問題

 倭王武が宋に遣使
讃・珍・済・興・武の倭の五王が南朝に遣使し、安東将軍の称号を受けた。(宋書倭国伝)

 倭の奴国が後漢に朝貢
紀元前1世紀に倭は百余国に分かれ、楽浪郡に遣使していた。(漢書地理誌)
奴国は、後漢の光武帝から金印を授けられた。(後漢書東夷伝)
「漢倭奴国王」の金印は、江戸時代、志賀島で発見。

 卑弥呼が魏に遣使
3世紀には約30国に統合され、邪馬台国は、その中心だった。(魏志倭人伝)
卑弥呼は、魏の皇帝に使いを送り、「親魏倭王」の称号と銅鏡などを与えられた。

 倭国王師升ら漢に朝貢
朝貢の際、「生口」を献上している。生口とは奴隷と考えられており、弥生中期には身分が発生していた。

 倭が百済・新羅を破る
高句麗「好太王碑」の碑文によると、倭軍は、百済・新羅を破ったが、高句麗と交戦し、敗北。

 新羅が伽耶を滅ぼす
朝鮮南部の伽耶は、4世紀以来、倭と親密な関係であったが、隣の百済、新羅に圧倒されていた。

 筑紫国造磐井の反乱
磐井は、新羅と結んで、九州南部で反乱を起こしたが、翌年、物部麁鹿火(あらかび)によって鎮圧された。
6世紀初め、継体天皇を擁立した大伴金村が大連として権力をふるったが、この乱の後、物部氏も大連として権力を持つようになった。

 冠位十二階制定
5世紀後半ごろに成立した「氏姓制度」では、豪族の家柄が重視され、職務を分掌した。
大王(天皇)を頂点とする中央集権国家を目指して、才能のある豪族個人を役人に起用、出世させていく制度に変更した。

 百済が仏教を公伝
百済の聖明王が仏教や経典を欽明天皇に送った。(上宮聖徳法王帝説)
仏教の信仰に反対した物部氏は、信仰に賛成した蘇我氏と対立を深め、年、物部守屋が蘇我馬子に滅ぼされた。

 厩戸皇子が摂政となる
蘇我馬子は、崇峻天皇を暗殺し、姪にあたる推古天皇が日本初の女帝として即位。
厩戸皇子(聖徳太子)は摂政として、蘇我馬子は大臣として、女帝を補佐して2人で政権を運営した。





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