日本史テスト
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民選議院設立建白書
板垣退助・後藤象二郎らが議会の開設を政府に要求。大久保利通を筆頭とする専制政府を改めるには民選議院が必要と訴えた。
板垣が土佐で立志社を作るなど、地方政社が運動を展開。
立憲政体樹立の詔
大久保利通が板垣退助・木戸孝允と大阪で会談し、徐々に立憲国家となる約束をした。
民権運動が全国的に高揚したため話し合い、その結果、元老院・大審院を設置。一方讒謗律・新聞紙条例で言論を弾圧。
樺太、千島交換条約
日露和親条約で択捉・得撫間に定めていた国境を変更し、全千島列島を日本領に、樺太をロシア領とした。
明治政府は屯田兵による北海道の開拓と北辺防備を行っていた。
日清修好条規を結ぶ
前年の江華島事件の結果結ばれた、朝鮮に不利な不平等条約。
その内容は、釜山、仁川、元山を開港、領事裁判権を承認させ、貿易では関税なし、というものだった。
秩禄処分
士族に支給していた秩禄を全廃し、金禄公債証書とその利子を渡すというもの。
同年に布告された廃刀令と合わせて士族の不満を高め、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱といった
士族の反乱が次々に起こった。
西南戦争が起こる
鹿児島の士族が西郷隆盛を首領としておこした最大にして最後の士族反乱。
熊本鎮台の反乱にあい、近代装備の政府軍に敗北し、西郷は自殺した。この結果、不平士族の反乱は終った。
三新法の制定
郡区町村編制法・府県会規則・地方税制の三つをいう。政府の狙いは地方議会を設置し、国民に選挙に慣れさせることだった。
豪農層が民権運動に加わり、府県会議員なったことで民権運動が再び高揚した。
沖縄設置
1872年に琉球藩をおき、国王尚泰を藩主としていたが、1879年、琉球藩を廃止し沖縄県を設置した。(琉球処分)
しかし、沖縄県では給制度が維持されたため、近代化が遅れた。
国会期成同盟の結成
豪農中心となった民権運動は、愛国社を国会期成同盟と改称し、国会設立の署名運動を展開した。
政府はこの請願を受理せず、集会条例を制定して民権運動を弾圧した。
集会条例の制定
内容は、演説会など政治集会を開く時には警察署に届け出て許可を得る、集会には警察官が臨場し集会の中止、解散を命じる、など。
これにより言論、集会、結社の自由は大幅に制限され、国民の不満は高まった。
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