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日本史テスト

国際情勢の推移と日本2語句2

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問題

1954 
アメリカとのMSA協定に基づき、防衛庁設置法、自衛隊法の二法成立で発足した。当時の吉田茂内閣は、破壊活動防止法の制定で結社の自由を制限し、自衛隊で再軍備を行って「逆コース(戦前に戻る)」と呼ばれた。

1955 
朝鮮戦争による特需景気に続いての大型好景気。電気洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビは「三種の神機」といわれ、家庭に普及し始めた。
翌56年発刊の経済白書には「もはや戦後ではない」と記された。

1955 
前年ビキニ岩礁での水爆実験で第五福竜丸が被爆し1名が死亡。これを契機に原水爆禁止運動が高揚した。
日本の運動団体は原水協と原水禁に分裂したが、現在にいたるまで毎年開催されている。

1956 
日ソ共同宣言で日ソ間の国交を回復、日本の国際連合のへの加盟支持を決定したことにより実現した。
北方領土(歯舞・国後・色丹・択捉島)問題は現在に至るまで未解決。

1959 
神武景気のあといったん不況になったが、この年より好況が続いた。
池田勇人内閣の所得倍増計画の推進などで高度経済成長が続き、オリンピック景気、イザナギ景気を迎えた。

1960 の調印
60年安保闘争と呼ばれた多数の国民の反対を押し切って調印された。
新安保条約では、日米いずれかが攻撃を受けた時、事前協議をして共同して対処すると定められた。

1964 
経済協力開発機構(OECD)は、世界貿易拡大のために西側諸国が協力する組織。
日本は1960年頃から貿易の自由化をすすめ、IMF8条国にへ移行し、OECDへの加盟で資本の自由化も義務付けられた。

1964 
アジアで初めてのオリンピック開催となった。
高度経済成長の中、競技施設に加え、高速道路や東海新幹線の開業などもあり、「オリンピック景気」となった。

1965 の調印
韓国とは国交が成立したが、朝鮮民主主義人民共和国とは国交がない。
1960年代から東南アジア諸国との関係も深まり、世界中から多くの企業が進出し、現地生産を行ている。

1967 の制定
高度経済成長期に、水質の汚濁や大気汚染などの公害が発生し、深刻な社会問題となった。
公害に対する住民運動が高まり、この法律が制定され、71年に環境庁が設置。現在は、環境基本法、環境省となっている。








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