問題 1.
57 倭の奴国が後漢に朝貢
紀元前1世紀に倭は百余国に分かれ、楽浪郡に遣使していた。
(漢書地理誌)
奴国は、後漢のから金印を授けられた。(後漢書東夷伝)
「漢倭奴国王」の金印は、江戸時代、島で発見。
107 倭国王師升ら漢に朝貢
朝貢の際、「」を献上している。とは奴隷と考えられて
おり、弥生中期には身分が発生していた。
239 卑弥呼が魏に遣使
3世紀には約30国に統合され、は、その中心だった。
(魏志倭人伝)
卑弥呼は、魏の皇帝に使いを送り、「」の称号と銅鏡などを
与えられた。
391 倭が百済・新羅を破る
高句麗「」の碑文によると、倭軍は、百済・新羅を破ったが、
と交戦し、敗北。
478 倭王武が宋に遣使
・珍・済・興・武の倭の五王が南朝に遣使し、将軍の
称号を受けた。(宋書倭国伝)
問題 2.
527 筑紫国造磐井の反乱
磐井は、新羅と結んで、九州南部で反乱を起こしたが、翌年、
物部麁鹿火(あらかび)によって鎮圧された。
6世紀初め、継体天皇を擁立した大伴が大連として権力を
ふるったが、この乱の後、氏も大連として権力を持つようになった。
538 百済が仏教を公伝
百済のが仏教や経典を天皇に送った。
(上宮聖徳法王帝説)
仏教の信仰に反対した氏は、信仰に賛成した氏と対立を
深め、587年、物部が蘇我に滅ぼされた。
562 新羅がを滅ぼす
朝鮮南部のは、4世紀以来、倭と親密な関係であったが、
隣の百済、新羅に圧倒されていた。
593 厩戸皇子が摂政となる
蘇我馬子は、天皇を暗殺し、姪にあたる天皇が
日本初の女帝として即位。
厩戸皇子(聖徳太子)はとして、蘇我馬子はとして、
女帝を補佐して2人で政権を運営した。
603 冠位十二階制定
5世紀後半ごろに成立した「制度」では、豪族の家柄が重視され、
職務を分掌した。
大王()を頂点とする中央国家を目指して、
才能のある豪族個人をに起用、出世させていく制度に変更した。
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