日本史テスト
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1930 ()
第一次世界大戦後の円安や輸出不振を打開するため、金本位制に復帰。
井上準之助蔵相のデフレ政策と世界恐慌に巻き込まれたことにより、農村にも不況が及び、昭和恐慌になった。
1931
関東軍が奉天郊外の柳条湖で満鉄を爆破して始まった。
満州全域・上海にも戦火は拡大。満州国承認をしぶる犬養毅首相は暗殺され(五・一五事件{1932年5月15日})、その後成立の斎藤実内閣が日満議定書調印。
1933
中国の訴えで国際連盟はリットン調査団を派遣、満州事変を侵略行為だと報告。
国際連盟総会は日本軍の満州からの撤兵などを勧告案を採択。松岡洋右ら日本代表は退場、その数日後に脱退を通告した。
1935 がおこる
天皇は国家の最高機関として統治する、という美濃部達吉の憲法学説が貴族院で問題視され、著書の発行禁止となった。
岡田啓介内閣は国体明徴声明を発表。これ以降、自由主義者も弾圧される時代となった。
1936
陸軍内で統制派と皇道派の対立が激化。
皇道派の将校らが兵を率いてクーデタをおこし高橋是清蔵相らを殺したが、結局反乱軍として鎮圧された。この期に成立した広田弘毅内閣では軍部大臣現役武官制が復活。
1937 が起こる
1937年7月、北京郊外のこの橋を挟んで戦闘がおこり、日中戦争へと拡大した。
中国では西安事件以降、国共合作が成立。日本軍は上海・南京を占領。近衛文麿首相は「国民政府を対手せず」の声明を発表。
1938 の制定
日中戦争が長期化したため、政府が議会の承認なしに人や物資を動員できるようにした。
この後、勅令で国民徴用令(軍需工場に動員)や賃金統制令・価格等統制令が出され、国民生活は窮乏していく。
1940
近衛文麿の新体制運動の結果できた、政府命令を国民に下達する団体。下に隣組があった。
このため政党は解散・消滅。また大日本産業報国会の結成で労働組合も消滅した。
1941 の開始
ハワイの真珠湾攻撃、マレー半島上陸で始まった。
南太平洋一帯を制圧したが、ミッドウェー海戦敗北後は劣勢。サイパン陥落後、本土空襲が頻繁に行われた。
1945
ドイツが降伏すると、連合国はポツダム会談を開き、日本に無条件降伏を求めた。
広島・長崎に原爆投下、その間にソ連の対日参戦があり、8月14日にポツダム宣言を受諾。翌日、天皇がラジオで国民に終戦を知らせた。
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