問題
憲法十七条制定
1条 官吏が協力すること。2条 仏教を勧める。3条 天皇への服従
中国の儒教や法家の影響を受け、官吏としての心得を豪族に示した。
小野妹子を隋に派遣
「日出づる処の〜」の国書が煬帝(ようだい)を怒らせたが、裴世清(はいせいせい)を答礼使として日本に送った。裴世清の帰国の際、高向玄理(たかむこのくろまろ)・南淵請安(みなぶちのしょうあん)・僧旻(そうみん)らが留学生・学問僧として隋へ行き、進んだ政治制度・文化を学んで帰国した。
第1回遣唐使の派遣
年、唐が建国され、犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)が大使として派遣された。
高向玄理は、唐でも学び、中大兄皇子らに大きな影響を与えた。
蘇我蝦夷・入鹿の滅亡
中大兄皇子や中臣鎌足は、蘇我氏の横暴を抑え、中央集権国家づくりを目指して、蘇我蝦夷・入鹿父子を殺した。(乙巳(いっし)の変)
孝徳天皇・皇太子中大兄皇子・内臣中臣鎌足・国博士に高向玄理・僧旻の新政府が発足。
改新の詔(みことのり)を発布
飛鳥から難波に遷都し、初めて年号を定めて大化とした。
公地公民制の原則、地方行政区画の設定、戸籍の作成・班田収授の実施、調など新税制の実施などの方針を明らかにしたもの。
白村江の敗戦
年に百済が滅び、救援要請を受け、朝鮮半島に向かったが、唐・新羅連合軍に大敗。
大宰府に水城を築き、防人を配置するなど、国防の充実を図り、飛鳥から大津宮へ遷都して中央集権国家の整備を急いだ。
庚午年籍(こうごねんじゃく)の作成
日本初の全国的戸籍として作成され、永久保存とした。(現存はしていない)
同じころに近江令を制定。
壬申(じんしん)の乱で大海人皇子(おおあまのおうじ)が勝利
天智天皇の死後、吉野へ逃れた大海人皇子が大友皇子の軍を破り、天武天皇となった。
このころから、大王(おおきみ)に代わって天皇と称すようになり、天皇の神格化も見られた。
飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)の施行
天武の妻、持統天皇は、夫の政策を受け継ぎ、完成させていった。
藤原京への遷都
中国の都城を模倣した、日本初の都城で、大和三山に囲まれた地に造営。
浄御原令の施行、班田収授の実施、藤原京の造営など、天皇を頂点とする律令国家の大部分が完成。
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