問題 1.
988 尾張の国郡司百姓ら、国司を訴える
尾張の国の国守藤原元命()の暴政を、同国の郡司や百姓(田堵ら)が朝廷に訴えた。当時の国司は田堵から多額の税を取り、朝廷に一定額の税を納めればよかったので
利権視され、成功()などの風潮が盛んだった。
1019 刀伊の入寇()
藤原道長、頼通の隆盛期に中国東北部の女真族()が博多湾に襲来した。大宰府の藤原隆家()らが撃退。
1028 平忠常()の乱
上総・下総に勢力を培った平忠常が国司と対立し、反乱を起こした。
源頼信()が追討のため関東へ向かうと、忠常は戦わずして降伏。
このことがきっかけで、東国に源氏の勢力が広がっていった。
1051 前九年合戦(前九年の役)始まる
陸奥国の豪族安倍頼時・貞任()父子の反乱により、鎮守府将軍の
源頼義()が出羽国の豪族清原氏の援助を得て鎮圧。
1052 日本における末法1年目
釈迦入滅後2000年たつと末法の世となり、社会は混迷する、というのが末法思想。
源信の「往生要集」や慶滋保胤()の「日本往生極楽記」などの往生伝の流布で、
貴族の極楽往生の願望は高まっていた。
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