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日本史テスト

中世社会の成立と展開1年号

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問題 1.

 延久の荘園整理令
後三条天皇は、増加する荘園を減らし、摂関家の力を弱めようとした。
記録荘園券契所を設置して石清水八幡宮の荘園を減らし、効果が出た。

 後三年の役が起こる
前九年合戦後、奥羽地方に勢力を拡大していた清原氏に内紛が起こり、源義家が清原清衡を助けてこれを鎮圧。その結果、源義家が東国武士の棟梁となり、奥州藤原氏の奥羽支配が確立。

 白河上皇、院政を始める
上皇の院宣や院庁下文が、詔勅や太政官符よりも効力を持った。
院政期とは、白河・鳥羽・後白河3上皇の約100年間を言う。

 中尊寺の金色堂が完成
藤原清衡が岩手県平泉に建立。背景として奥州藤原氏の支配下で金が豊富に産出されていたこと、都の文化であった浄土教が地方の有力武士に広まったことが挙げられる。

 保元の乱
鳥羽上皇の死後、兄崇徳天皇と弟後白河天皇の対立に、摂関家の兄弟、藤原忠道と藤原頼長の争いが絡んでおこった。その結果、崇徳方が敗北し後白河院政が誕生する。

 平治の乱
後白河院の近臣、藤原通憲と藤原信頼の対立に、源義朝と平清盛の対立が絡んでおこった。その結果、平清盛だけが勝ち残り、後白河院政下で、初めての武家政権である平清盛政権が誕生。

 平清盛が太政大臣になる
武家が太政大臣となった最初の事例である。娘徳子が安徳天皇を生んだことで天皇の外祖父となり、一族で多くの荘園・知行国を領有。西国武士と主従関係を結び、一部を地頭とした。また、大輪田泊を修築し、日宋貿易を推進した。

源頼朝、鎌倉に侍所を設置
頼朝は富士川で平氏を破った後、鎌倉に戻り東国武士の組織化を進めるべく侍所を設置。
任務は御家人の統制と、軍事面の統括。初代別当(長官)は、和田義盛。

 源頼朝が東国支配権を確立
平氏が都落ちしたのち源義仲が入京したが、義仲軍の乱暴が問題となった。後白河法皇は源頼朝に、東国支配権を与える代わりに源義仲を都から追い出すよう交渉した。

 源頼朝が公文所・問注所を設置
公文所は一般政務を扱う機関であり、後の政所。初代別当には京都の公家の大江広元。
問注所は訴訟・裁判を行う機関。初代執事(長官)には公家の三善康信。


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