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日本史テスト

中世社会の成立と展開1語句1

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問題

1069 延久の荘園整理令
後三条天皇は、増加する荘園を減らし、摂関家の力を弱めようとした。
を設置しての荘園を減らし、効果が出た。

1083 後三年の役が起こる
前九年合戦後、に勢力を拡大していた清原氏に内紛が起こり、が清原清衡を助けてこれを鎮圧。その結果、が東国武士の棟梁となり、奥州藤原氏の奥羽支配が確立。

1086 白河上皇、院政を始める
上皇の院宣や院庁下文が、詔勅や太政官符よりも効力を持った。
院政期とは、3上皇の約100年間を言う。

1124 中尊寺の金色堂が完成
が岩手県平泉に建立。背景として奥州藤原氏の支配下でが豊富に産出されていたこと、都の文化であったが地方の有力武士に広まったことが挙げられる。

1156 保元の乱
鳥羽上皇の死後、兄天皇と弟天皇の対立に、摂関家の兄弟、藤原と藤原の争いが絡んでおこった。その結果、方が敗北し院政が誕生する。

1159 平治の乱
後白河院の近臣、藤原と藤原の対立に、源と平の対立が絡んでおこった。その結果、だけが勝ち残り、後白河院政下で、初めてのである平清盛政権が誕生。

1167 平清盛が太政大臣になる
武家が太政大臣となった最初の事例である。娘天皇を生んだことで天皇の外祖父となり、一族で多くの荘園・知行国を領有。武士と主従関係を結び、一部を地頭とした。また、を修築し、貿易を推進した。

1180 源頼朝、鎌倉に侍所を設置
頼朝は富士川で平氏を破った後、に戻り武士の組織化を進めるべくを設置。
任務は御家人の統制と、軍事面の統括。初代別当(長官)は、

1183 源頼朝が東国支配権を確立。
平氏が都落ちしたのち源が入京したが、軍の乱暴が問題となった。後白河法皇は源頼朝に、東国支配権を与える代わりに源を都から追い出すよう交渉した。

1184 源頼朝が公文所・問注所を設置
は一般政務を扱う機関であり、後の。初代には京都の公家の
は訴訟・裁判を行う機関。初代には公家の





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