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日本史テスト

中世社会の成立と展開5読み

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問題 1.

1404 勘合貿易の開始
日明貿易は朝貢形式で行われ,倭寇()と区別するため勘合を用いた.
また貿易港は,寧波()のみであった.輸入された明銭は日本の貨幣経済を進展させ,生糸は西陣織の誕生に影響を与えた.

1419 応永の外寇(
朝鮮が,倭寇の根拠地とみなした対馬を襲った事件.
事件後,日朝貿易は一時中断.のち再開され,対馬の宗氏を仲介して行われた.貿易港は三浦(さんぽ)に限定され,大量の木綿を輸入した.

1428 正長()の徳政一揆
近江国坂本の馬借がおこし,周辺の国々の民衆が京に乱入し,徳政を要求して土倉・酒屋・寺院を襲った.幕府は徳政令を発布しなかったが,借用証文を破るなど私徳政を強行.

1429 琉球王国の建国
中山王国の尚巴志()が南山・北山を服属させて建国した.明との朝貢()貿易や,東南アジア・日本・朝鮮を結ぶ中継貿易で栄えたが,16世紀ポルトガルのアジア進出により衰退.

1432 足利義教(),勘合貿易を再開
4代義持()は朝貢形式を嫌い,貿易を中止したが,6代義教は利益を重視し再開.
再開後は,守護大名や寺社が貿易に加わり,やがて博多商人と結んだ大内氏と,堺商人と結んだ細川氏が貿易を独占.




問題 2.

1438 永享()の乱
鎌倉府は当初より幕府から半独立的な機関であったが,鎌倉公方()足利持氏()は,将軍義教に反抗し,逆に討たれた.こののち,成氏が鎌倉公方となったが幕府と対立し,下総()国へ移り,古河()公方と称した.

1439 足利()学校が再興された
鎌倉期に設立され,さびれていたものを上杉憲実()が再興した.
多くの書物を集め,戦国時代には西の山口とともに,東国の学問の中心となり,多くの人が学んだ.宣教師が「坂東()の大学」と称賛した.

1441 嘉吉()の変,嘉吉の徳政一揆
播磨()国守護赤松満祐()が将軍足利義教を殺した事件.これ以降,将軍権威は大きく失墜.
新将軍による「代始めの徳政」を求めて民衆が京都を包囲した.この結果,幕府は初めて徳政令を発布した.

1457 コシャマインの戦い
道南十二館に住む和人たちが不当な交易を行ったので,アイヌを率いて蜂起した.
東北の津軽地方から蝦夷地に進出した和人は12の居住地に住み,アイヌとの交易を行っていた.津軽の十三湊()は非常に栄えた.

1457 足利政知(),堀越公方となる
鎌倉公方足利成氏()は関東管領上杉氏と対立,古河へ移った.将軍義政は
足利政知を送ったが,鎌倉に入れず,堀越にとどまった.
鎌倉公方が古河と堀越に分裂し,関東管領も山内上杉家と扇谷()上杉家にわかれ対立.









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