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日本史テスト

中世社会の成立と展開6読み

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問題 1.

1467 応仁()の乱始まる
原因は義政の弟義視()と実子義尚()による将軍後継問題.斯波()・畠山氏の家督相続争い,細川勝元と山名持豊の権力争い,などである.
主戦場となった京都は足軽の乱暴もあって荒廃.下剋上の風潮が高まり,戦国の世に.

1485 山城の国一揆おこる
応仁の乱後も,畠山氏は二派に分かれて山城国で争っていた.国人らは両畠山氏を国外に退去させ,約8年間の自治を行った.宇治の平等院で集会をもった国人らは国の掟()を決め,有力国人36人で自治を進めた.

1488 加賀の一向一揆おこる
応仁の乱の頃,浄土真宗(一向宗)の僧蓮如()は越前国吉崎を拠点に,北陸・東海に教団の勢力を広げていった.
加賀の一向宗門徒は,守護の富樫政親()を倒し,以降約100年間自治を行った.

1489 足利義政,銀閣を造営
京都東山に造営.慈照寺()銀閣は,下層が書院造で上層が禅宗様の建築物.
東山文化は簡素,わびなど禅の精神を基調とする文化で,村田珠光()のわび茶や枯山水の庭園などによく表れている.

1493 北条早雲,伊豆の堀越公方を滅ぼす
鎌倉公方・関東管領の分裂に乗じて北条早雲()は,堀越公方を滅ぼして伊豆を奪い,ついで相模に進出し,小田原を本拠地とした.
子の氏綱(),孫の氏康()のときには関東の大半を支配する戦国大名に成長.



問題 2.

1495 「新選菟玖波(」集」ができる
宗祇()は幽玄()の境地を求める正風連歌()を確立し,この連歌集を編集.また,応仁の乱で荒廃した京を離れ,連歌師として地方を歴訪.
宗祇の後,山崎宗鑑()はこっけいを主とする俳諧連歌を創始し,「犬菟玖波()集」を編集.

1510 三浦()の乱
応永の外寇ののち,朝鮮は貿易統制を強めたので,三浦(及而浦・富山浦・塩浦)の日本人が暴動を起こした.
三浦の乱の結果,朝鮮との交易はしだいに衰退することになった.

1518 「閑吟集()」ができる
室町時代に流行した小歌を集めたもの.室町時代の庶民の文芸としては連歌・小歌のほかに,
日常語で喜劇を演じる狂言,祭礼時に華やかな姿で踊る風流(),風流と念仏踊りが融合した盆踊り,お伽草紙()などがあった.

1523 寧波()の乱
博多商人と結んだ大内氏と堺商人と結んだ細川氏は,寧波で衝突し,大内氏が勝利して勘合貿易を独占した.
1551年に大内氏が滅亡すると貿易は断絶し,この後,後期倭寇の活動が活発になった.

1536 天文法華()の乱
日親()の布教により京都で法華宗信者が急増,一時法華一揆が京都の自治を行った.
これに対し,延暦寺は近江の六角氏らと結び法華一揆を打ち破った.この結果,
法華宗の勢力は数年間京都を追われることになった.








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