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日本史テスト

幕藩体制の確立と動揺4年号

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問題

 シャクシャインの戦い
松前藩支配下の和人の不正交易に対し、シャクシャインを長にアイヌが反抗。
松前藩は家臣にアイヌとの交易権を与えいた(商場知行制)。この事件後は特定証人に交易を任せ運上を徴収(場所請負制)。

 分地制限令
20石以下の名主、10石以下の本百姓は分割相続してはいけないという法令。1713年に改定され、20石以下の分地を禁止。

 井原西鶴、「好色一代男」発表
井原西鶴の浮世草子デビュー作。これ以前西鶴は談林派に属し、俳諧を作っていた。
この作品のほかに「好色五人娘」の好色物、「日本永代蔵」などの町人物(上方町人を描く)、武家物三つのジャンルが大流行した。

 幕府が貞享暦を採用
5代綱吉が天文方に任命した渋川春海(安井算哲)が元の授時歴をもとに作成された暦。日本人が初めて作ったもの。
綱吉は学問を奨励し、湯島の聖堂学問所の建設や歌学方(北村季吟)の設置を行った。

 初めての生類憐みの令を出す。
綱吉は仏教を厚く信仰し、仏教の慈悲の精神を政治に示そうとした。
初めは犬だけであったが、のち蚊などの殺生も禁じた。江戸の庶民は綱吉を「犬公方」と呼んでさげすんだ。

 正徳の治、始まる
6代家宣は甲府藩主から将軍になった。側用人真鍋詮房、朱子学者「新井白石」を登用して政治の刷新を図った。
まず生類憐みの令を廃止し、柳沢吉保や荻原茂秀(元禄金銀の提案者)を罷免した。

 閑院宮家を創設
白石は将軍権威を高めようと儀礼の整備に力を入れた。閑院宮家の創設もその一例。
また白石は、朝鮮通信使の接遇を簡素化して経費を削減し、将軍の古層を「日本国大君」から「日本国王」と変えさせた。

 海舶互市新例を発布
長崎貿易で金銀が海外へ流出しているとして、中国・オランダとの貿易を制限。
前年には正徳金銀を発行したが、かえって経済は混乱した。

 享保の改革始まる
7代家継が幼少で亡くなると、紀伊藩主吉宗が将軍となった。
享保の改革は、家康のころの幕政に戻すのが基本方針で、財政再建と商業資本や市場の統制に力を入れた。

 相対済し令を出す
旗本や御家人の金銭貸借訴訟を受けつけず、当事者間の相談で解決するように命じた。
17世紀後半から藩財政や武士の家計は窮乏し、藩は大阪の商人から、旗本・御家人は江戸の札差から借財することが急増





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