戻る

日本史テスト

幕藩体制の確立と動揺4語句1

100 点満点 ( 合格点 80 点 )

残り時間


テストを開始するには [テスト開始] ボタンを押してください。

問題 1.

1669 シャクシャインの戦い
藩支配下の和人の不正交易に対し、シャクシャインを長にが反抗。
藩は家臣にとの交易権を与えいた()。この事件後は特定証人に交易を任せ運上を徴収(場所請負制)。

1673 分地制限令
20石以下の、10石以下のは分割相続してはいけないという法令。1713年に改定され、20石以下の分地を禁止。

1682 井原西鶴、「好色一代男」発表
井原西鶴の浮世草子デビュー作。これ以前西鶴は談林派に属し、を作っていた。
この作品のほかに「」の好色物、「」などの町人物(上方町人を描く)、武家物三つのジャンルが大流行した。

1684 幕府が貞享暦を採用
5代綱吉が天文方に任命した(安井算哲)が元のをもとに作成された暦。日本人が初めて作ったもの。
綱吉は学問を奨励し、湯島の聖堂学問所の建設や歌学方(北村季吟)の設置を行った。

1685 初めての生類憐みの令を出す。
綱吉は仏教を厚く信仰し、仏教の慈悲の精神を政治に示そうとした。
初めは犬だけであったが、のち蚊などの殺生も禁じた。江戸の庶民は綱吉を「」と呼んでさげすんだ。

問題 2.

1709 正徳の治、始まる
6代家宣は藩主から将軍になった。側用人真鍋詮房、朱子学者「」を登用して政治の刷新を図った。
まず生類憐みの令を廃止し、柳沢吉保や荻原茂秀(元禄金銀の提案者)を罷免した。

1710 閑院宮家を創設
白石は将軍権威を高めようと儀礼の整備に力を入れた。閑院宮家の創設もその一例。
また白石は、朝鮮通信使の接遇を簡素化して経費を削減し、将軍の古層を「日本国」から「日本」と変えさせた。

1715 海舶互市新例を発布
長崎貿易で金銀が海外へ流出しているとして、との貿易を制限。
前年には金銀を発行したが、かえって経済は混乱した。

1716 享保の改革始まる
7代家継が幼少で亡くなると、藩主吉宗が将軍となった。
享保の改革は、のころの幕政に戻すのが基本方針で、財政再建と商業資本や市場の統制に力を入れた。

1719 相対済し令を出す
の金銭貸借訴訟を受けつけず、当事者間の相談で解決するように命じた。
17世紀後半から藩財政や武士の家計は窮乏し、藩はの商人から、旗本・御家人はの札差から借財することが急増






お疲れ様でした。「採点」ボタンを押して採点してください。


結果:
























  

次へ
自主学習テクニック